訪朝日記 大阪府商工会結成70周年記念 商工人祖国訪問

大阪府商工会結成70周年記念 商工人祖国訪問
4月27日に板門店で開催された歴史的な第3回北南首脳会談と「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」。
発表の翌日、28日から5月4日、74名で構成された「大阪府商工会結成70周年記念同胞商工人祖国訪問団」が6泊7日の日程で、平壌、金剛山、開城を訪問した(短期組は1日まで4日間)。
日を追うごとに発展する祖国の現状を目の当たりにした日々を南大阪商工会の全信基さんが振り返った。

文/南大阪商工会 全信基

社会主義の未来がここに
斬新な都市構想、スケールに驚く
先祖に運命的に導かれ

4月28日(土)
約20年ぶりの祖国訪問。
大阪府商工会結成70周年記念事業として74名が参加する訪問団は、朝6時半の関空での顔合わせの時からすでに笑顔と心が弾んでいるように見えた。
それもそのはず。北南首脳会談が板門店で行われた歴史的な日の翌日に、祖国に向かうからである。
はやる気持ちを抑えながら飛行機は関空を飛び立った。機内では79歳のハルモニが広い席への移動を要請するが(足が不自由なため)、日本語と朝鮮語で話すハルモニと、英語と中国語を話すCAの会話が全く噛み合わない。
私が出来の悪い英語で説明してなんとか両者の交渉は和平へと向かう(笑)。
ここで再認識。
20年ぶりの祖国訪問で浮かれていたが、自分はあくまで商工会職員としてサポートに徹しないといけないことを。
平壌順安空港には19時に到着。
空港ゲートでは空港職員に「よく来た!」と声を掛けられ(北京と大違い)、外に出るとすでに訪問団の家族親戚が大勢いらっしゃることにびっくりした。
万寿台銅像、高麗ホテル、平壌ホテルへの移動中、車窓から見える夜の平壌は20年前と打って変わって煌びやかだった。
光に照らされた高層住宅、近代都市さながらの発展ぶりを目の当たりにした。
21時40分から平壌ホテルで結団式が行われ、楽しい宴となった。

4月29日(日)
7時半に出発し、万景台史跡地、凱旋門、チュチェ塔、地下鉄を参観した。
チュチェ塔前の広場で父親が小学生の娘をスマホで撮っていた光景が印象的だった。
昼食は玉流館で平壌冷麺を堪能。玉流館の周りは人民の長蛇の列で、その傍を我々が優先的に通り抜けるのは申し訳ない気もしたが、首脳会談で振る舞われた平壌冷麺の味はやはり格別だった。
15時からポンファ芸術劇場、朝鮮革命歴史館などを観覧し、夕食をとり一日を終えた。

4月30日(月)
7時にホテルを出発し、平和自動車工場、平壌3・26電線工場へ。
特に電線工場のスケールには驚いた。設備は日本にも負けず劣らず立派で、なにより福利厚生のレベルが桁違い。
大浴場やサウナは大阪のニュージャパンより豪華で、他にもプール、娯楽施設など労働者への配慮が存分に行き届いている。
仕事を終えてこの壮大な福利厚生施設を利用すれば帰宅時間は自然と遅くなるはず(笑)。

昼食後、黎明通りを見学。
スタイリッシュな建物群は全棟が人民の居住マンションというが、外観は居住用とは思えないほどの建築美である。
同行した女性記者がここにお住まいだという。聞くと、広さ150㎡、部屋は4つにベランダが5つと大阪の市場価格なら1億円レベルです。
でもここでは無料。女性記者の表情が生き生きとして、とても幸せそうに見えた。

その後、万景台学生少年宮殿を訪ね、授業やトレーニングの様子を見学する。
芸術公演が始まる際に、司会者の女の子がブラジル元大統領(私たちと同じ日に見学!)よりも先に我々訪問団を紹介したことに祖国の愛を感じた(笑)。
公演後は子供たちと記念写真も撮ったが、ペンギン役の子とのツーショットが人気だったようだ。
19時に駅前食堂で短期組(4日間)の歓送会が催された。
総聯が経営するだけあってお好み焼きなど我々のソウルフードを堪能できた。
短期組の感想、祖国のスタッフの紹介など、終始賑やかな雰囲気。接待員の女性スタッフは我々のビール注文攻撃に右往左往しながらも、急に歌手として美声を響かせた。
ちょっとコミュカルでポップな踊りを取り入れて歌う姿に男性陣はメロメロ。
特にCNC(生産加工自動コンピューターシステム)の歌はYMCAを彷彿させる振り付けで大変好評であった。
最後に全員で『朝鮮は一つだ』を熱唱し怒濤の宴会は幕を下ろした。

5月1日(火)
朝6時半。短期組を見送り、7時に開成へ出発。
この日から「金剛山コース」と「開城コース」に分かれる。
やはり金剛山コースは人気で、開城コースは6人のみ。
しかも内訳は、総聯大阪府本部委員長、大阪朝高元校長、我々職員4人。
身が引き締まる思いでありました(笑)。

バス運転手が、このバスは首脳会談の時に板門店に赴いたバスだと説明したので、何か因縁みたいな予感がしたが、その後その予感は運命的なものだと気付くことになる。
11時頃に朝鮮の三大瀑布で知られる朴淵瀑布に到着。
松都(開城)三絶の一つとして知られる朴淵瀑布は、朝鮮の妓生、黄真伊がよく訪れた場所である。
黄真伊は気分が晴れないときによく訪れたそうだが、確かに、滝の臨場感よりも、水の流れに心が落ち着くような、安心感を抱くことができる。
龍の岩には黄真伊が書いた直筆の詩が今も残されている。…滝の水が三千尺もまっすぐ落ちて、まるで銀河が天から落ちてくるようだ…と。
その後、霊通寺、成均館で遅めの昼食をとり、王建陵に向かった。
この日は5月1日メーデーで祭日。人民たちが至るところでカラオケや踊りを楽しんでおり、実に楽しそう。
王建陵は朝鮮の初統一国家高麗の初代王の墓である。
ガイドの女性と対面すると、彼女は私の名前を見て『先生、あなたのご先祖の墓ですよ』と言う。
出発前の予感が運命に変わった瞬間だ。
私の姓「全」、他に「玉」、「田」は、高麗時代の王家出身である。
1392年に高麗が滅亡し李氏朝鮮が設立した際に、王家は虐殺を恐れて逃亡したそうだ。
身を隠して暮らすのに姓が王だと見つかるので、王の文字に屋根をつけて全となったという。
ガイドの女性が繰り返す。『あなただけはクンチョル(法事の礼)をせねばなりませんよ』。
私は墓の前で三回クンチョルをした。
すると王建の声が聞こえた気がした。
『初の統一国家高麗が918年に建てられ、今年が1100年を迎える節目の時。昨日は板門店で北南首脳会談が行われ、統一協議が再開した歴史的な時。ましてや人民がメーデーでお祭りのように楽しんいでる優雅な今日に、私の末裔がこうして挨拶に来てくれたことを嬉しく思う。これからもそなたの家族は安泰であろうし、日本に帰っても与えられた使命を引き続き全うするがよい』。
嘘か本当かは皆様の想像にお任せします。
私、今年が本厄でして、最高の厄払いができたと思っております(笑)。
ご先祖との対面に名残惜しさを残しつつ、平壌への帰路についた。

5月2日(水)
9時に出発し、平壌教員大学へ。
幼稚園と小学生を教える教員を育成する大学で、人工知能を使った模擬授業、実際の学校クラスとモニターで繋いで授業するなど、朝鮮の科学技術と教育プログラムは予想より遙かに高水準である。
午後は金陵運動館で射撃に挑戦。
その後ゆっくりサウナに入り、旅の疲れを癒した。
夜は海外同胞食堂に若手職員たちで集まり、金剛山と開城の土産話に華を咲かせた。

5月3日(木)
朝9時に出発し、朝鮮人民軍武装装備館へ。
写真撮影が一切禁止ということもあり詳細は語れないが、先軍政治の片鱗をまざまざと見せつけられたと言って良いほど圧巻の展示内容であった。
売店に戦車や船舶などの模型が売られていたので、子供のお土産を悩んでいた私は戦車を2台購入。
昨今の情勢で朝鮮のお土産は関空で没収される傾向が強いが、この戦車だけは突撃戦で持ち帰ろうと決心した。
最後の夜は高麗ホテルで歓送会が催された。
訪問団の家族親戚、祖国のスタッフも全員参加され笑いあり涙ありの和やかな時間となった。
商工会若手職員も感謝の気持ちを『少年団行進曲』という歌に代えてホールを一周行進しました。

5月4日(金)
別れの時。あっという間に過ぎ去った祖国訪問。
何より74名の大世帯で、大阪府商工会70周年記念事業として強い連帯感が生まれた。
祖国のスタッフ、人民たちは本当に暖かかったです。思い出すのは人民たちの笑顔。
私もこのルポで(笑)マークが多いように、終始笑いが絶えませんでした。
近くて遠い国から、近くて暖かい国へ。
統一機運が高まる今日、私が出来ることは精一杯頑張ろうと胸に誓い、王建がいう使命が何なのかを考えつつ、全うしていきたいと思います。

記事提供:朝鮮商工新聞