平壌地区「歴史遺跡」
1.檀君陵

平壌市江東郡文興里の大朴山の麓にあります。
朝鮮民族の悠久性、単一性を示す民族の聖地です。
朝鮮最初の国家を建てた朝鮮民族の始祖檀君の陵墓として、5千年の悠久の単一民族―朝鮮の歴史を実証する貴重な歴史遺跡です。
檀君はB.C.30世紀初、最初の奴隷制国家である古朝鮮を建てました。
チュチェ83(1994)年10月に花崗岩を加工して積み上げた檀君陵が竣工しました。
敷地面積は45ヘクタール。檀君陵改建記念碑区域と石人像区域、陵墓区域からなっています。
檀君陵改建記念碑区域には陵門、檀君陵改建記念碑、檀君陵奇蹟碑があります。
石人像区域には、階段を上りながら檀君の側近臣下8人像と檀君の子息4人像が当時の官職、等級別に配置されています。
陵墓の内部に入るには、3の石門を通過しなければならないが、石門一つの重量は1.2t以上もあります。
墓室には、檀君と妻の遺骨が特殊透明ガラス棺のなかに安置されています。
陵墓は正方形のピラミット式になっています。
陵墓の築造に使われた石の数は陵墓を建設した年度を象徴して1 994個であり、一番大きい石の重量は21tである。陵墓の底辺の一辺の長さは50m、高さは22mです。
陵墓の前には、祭壇と焚香炉があり、四隅に一双の石虎と剣塔があります。
石虎(高さ3.5m、長さ6.2m、重さ90余t)は東方の強国を建てた古朝鮮人民たちの英知と勇猛を象徴しており、古朝鮮固有の琵琶型短剣を形象化した剣塔(高さ7m)古代朝鮮人民の高い文化の発展水準と進取の気概を示しています。
陵墓には、始祖王を神聖化し仕えることを美徳としてきた朝鮮民族の風習にまつわるいろいろな伝説が秘められています。
2.東明王陵

平壌の中心から25km離れた力浦区域龍山里にあります。
朝鮮最初の封建国家であり、朝鮮の歴史上最も強大な国家であった高句麗(B.C.277年~A.D.668年)の始祖―東明聖王(本名:高朱蒙)の王陵です。
427年に高句麗が集安から平壌へ遷都した時に始祖王の墳墓も移しました。
チュチェ82(1993)年5月、東明王の誕生2 291周年に際して歴史主義原則に基づいて立派に改築されました。
170余ヘクタールの敷地に王陵区域、定陵寺区域、臣下の墓地区域があります。
王陵区域には、特色ある朝鮮式形式の陵門と王陵、文武官石像、その他の石像と碑石、祭堂があります。
元来、陵墓の内部には珍奇な遺物が多かったが、日本帝国主義の植民地時代に侵略者によって盗掘されました。
墓室の壁面には蓮の花を描いた壁画があります。
定陵寺は王陵を移す時、東明王の冥福を祈るために王陵とともに建てました。
3万7 000㎡の敷地に東西223m、南北133mの回廊が巡らされた大きな寺です。
臣下の墓地区域には、東明王の建国に貢献した15の臣下の墓地があります。
東明王陵はチュチェ93(2004)年、世界文化遺産としてユネスコに登録されました。
3.大同門

中区域大同門洞にある中世朝鮮の代表的な城門の一つであります。
6世紀中葉に建てられた大同門は、高句麗時代の平壌城内城の東門でした。
現在のものは1635年に修築したものです。
伝統的な朝鮮式城門形式の大同門には16世紀の有名な書家の楊士彦と朴偉の扁額が掛かっているので、さらに有名です。
4.平壌鐘

大同門のそばにある鐘閣にある歴史遺物です。
朝鮮封建王朝時代、平壌城の人々に平時は時刻を、外国の侵略者が侵入したときには急を告げるために鋳造した鐘です。
元来の鐘は火災で破損し、現在の鐘は1726年に再び鋳造したものです。
高さ3.1m、口径1.6m、重さ13t513kgです。
青銅を溶かして鋳造した平壌鐘は、朝鮮鐘の特徴と当時の鋳造技術の高い発展水準を見せています。
表面には仏像、四天王像、雲など美しい模様と鐘の来歴を記した文字が浮き彫りにされています。
朝鮮封建王朝時代に朝鮮屈指の鐘の一つとして鐘の音が殷々として「平壌の名物」とされました。
5.練光亭

朝鮮の楼閣建築を代表する練光亭は平壌鐘と並んでいます。
高句麗時代に初めて建てられ、1111年に再建されました。
今のものは1670年に修築したものです。
古くから関西8景の一つとなっている練光亭は平壌の人々に格別に愛されました。
楼閣で大同江を俯瞰するのが印象的です。
練光亭には、外国の侵略者から平壌城を守るために戦った桂月香をはじめ、平壌城の人々の闘争物語や多くの伝説と逸話が秘められています。
高麗時代、有名詩人の金黄元は練光亭に上って平壌の美しさを歌う詩を詠じようとしたが、平壌の美しさを詠じるには自分の詩才が足りないといって二句を詠じては絶句し、筆を折って涙を流したといいます。
その二句が今も練光亭に掛かっています。
6.普通門

普通江畔のチョンリマ通りの入り口にあります。
6世紀中葉に初めて建て、その後数回も修築しましたが、今のは1473年に再建したものです。
昔、普通門の前の渡し場で人たちを見送るのが見物だといって「平壌8景」の一つとされました。
普通門とともに、腕前に長けた2人の大工の話が伝わっています。
2人は師と弟子でした。師は大同門を、弟子は普通門を引き受けましたが、大同門が完成間近にあるころ師は弟子の建てている普通門に行ってみました。
ところが、弟子の建てた普通門が大同門に劣らず立派にできているのに満足した師は弟子を助けて普通門を完成したといいます。
7.大城山城

3~5世紀にかけて大城山の6つの峰を連結して築城したものです。
城壁の長さは9km以上もあります。
長い間、外国の侵略者を撃退する戦いで大きな役割を果たしました。
現在、蘇文峰に残っている約200m区間の城壁は現状通りに復旧したものです。
8.広法寺

中央動物園から北東へ4㎞離れた所にあります。
広法寺は高句麗に初めて仏教を伝播したアドが392年に建てたと伝えられています。
大城山にあった10余の寺院のうち一番大きなものでした。
今のは18世紀中葉に建てられたのをチュチェ79(1990)年に復旧したものです。
1727年に建てられた広法寺事蹟碑によると、本来普光殿、冥府殿、七星塔、三日庵など多くの建物がありました。
近世まで保存されてきた建物はすぐる祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期に空爆によって全部破壊されました。
今の広法寺は大雄殿と東、西僧堂、解脱門、天王門からなっています。
大雄殿は、外側から見れば2階建てのように見えますが、内側から見れば1階の独特な建築様式になっています。
広法寺の華麗な建物は周囲の美しい景色とマッチして、大城山の風致を際立たせています。
9.乙密台

牡丹峰の主峰にあります。
6世紀中葉、平壌城内城の北将台として建てられました。
高句麗の名将―乙密将軍の名に由来しています。
乙密台から展望する春景色が美しくて古くから平壌8景の一つとされてきました。
10.七星門

牡丹峰劇場とななめ向かいにある城門です。
6世紀中葉に平壌城内城の北門として築城されました。
今のは1764年に修築したものであす。
高句麗時代から「幸せの門」、「愛の門」と呼ばれ、数々の伝説を秘めています。
今日もツツジやアンズの花咲く春には愛を約束する青春男女がこの門をくぐっています。


